神奈川県綾瀬市にある「城山(しろやま)公園」へ行きました。
日本庭園の紅葉が大変美しいのです☆o。..:* ☆.。
以下は全て2020年12月6日時点の現地の様子です。
鏡だねぇ・・・
日本庭園のツバキもイイ感じでした
スポンサーリンク
日本庭園以外でも美しい紅葉が見れました。
コチラは「桜の広場」。
「遊具広場」付近
そうそう。綾瀬市の木は「ヤマモミジ」なンだって。
モミジもいろんな種類があるので、品種の見分けはつかないけど・・・(;'∀')
城山公園は史跡スポットなのです。
園内各所に案内板があるので、歴史を感じながら散策できます。
城山公園は「早川城跡」なンだって。
現地の案内板によると・・・・・・
地元では古くから「城山」(じょうやま)と呼ばれ、鎌倉時代の御家人渋谷氏の城と伝えられています。しかし文献資料がありませんでした。
そこで、綾瀬市教育委員会では平成元年度~平成6年度、早川城跡の学術調査を実施。
発掘調査によって、堀切・土塁・物見塚・曲輪等、城郭関連遺構が発見。県内で有数な保存状態の良好な中世城郭であること、
そして、城郭が構築される以前は、縄文時代や古代の集落が営まれていたことが明らかになりました。・・・・・・とのこと。
では、ココからは「入口広場」からぐるっとほぼ時計回りな順番のルートで写真をアップします。
「古代の城山」
古墳時代の終わりごろから奈良・平安時代にかけて、早川城周辺には大きなムラが造られます。市立城山中学校から早川城跡にかけての台地上からは100軒を超える竪穴住居址が発見され、
目久尻川を挟んだ対岸の宮久保遺跡(県立綾瀬西高等学校)からも150軒の竪穴住居址が発掘調査されています。
住居址内からは土師器(土器)、須恵器(陶器)、鉄製の農工具類、墨書土器(文字の書かれた土器)が出土。当時庶民レベルまで鉄製品や文字が普及し始めたことが分かります。また、早川城跡や宮久保遺跡からは都で作られた奈良三彩という珍しい陶器も出土しています。・・・・・・とのこと。
日時計
こういう感じ、城跡っぽいよネ
「1号柱穴列から出土した火舎片」
早川城の北西部斜面に作られた腰郭に掘立柱建物の柱穴列が見つかりました。早川城の関連施設の一つで、見張り小屋的機能を持った建物跡と思われます。・・・とのこと
スポンサーリンク
以下2つは「桜の広場」にある案内板
物見塚
縄文時代中期の竪穴式住居址、土器、石器が発見されたンだって。
なお、周辺には同時期のムラが作られていたので、当時早川城一帯は、豊かな自然に恵まれ縄文人にとっても済みやすい場所だったことが想像されます。・・・とのこと
バラの一番の見ごろは過ぎてた印象ですが、まだ咲いているバラもありました。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。