横浜市中心部をぶらりしていると、
様々な史跡案内の看板と遭遇しマス。
コチラは「象の鼻パーク」にありマス。
「象の鼻地区の波止場」
現地の案内板によると・・・
象の鼻地区の波止場は、時代とともに様々な愛称がありました。
開港当初の波止場は東西2本の直線状の突堤。東の突堤は「東波止場」と呼ばれ、主に外国からの輸出入貨物の積卸しに使用。西の突堤は「西波止場」と呼ばれて、国内貨物の積卸しに使用。
元治元(1864)年、貿易量の増大により、現在の山下公園中央付近に新たに「東波止場」が造られると、象の鼻地区の二つの突堤を総称し「西波止場」と呼ぶようになりました。
フランス人建築家クリペによる「横浜絵図面」には、慶応元(1865)年当時の西波止場の姿が描かれています。当時の水際線は、現在の横浜開港資料館前の海岸通りの位置にあり、2本の突堤はそこから海に突き出ていたと考えられます。
東波止場はフランス人居住区の前面にあったので「フランス波止場」とも呼ばれました。明治2(1869)年、象の鼻地区の前面にイギリス領事館(現在の横浜開港資料館の所在地)が建てられると、西波止場は「イギリス波止場」とも呼ばれました。西波止場の西側の突堤は国内貨物用だったので「日本波止場」、税関の建物に近いので「税関波止場」とも呼ばれました。
象の鼻パークでは、西波止場の西側の突堤の位置を、広場内の舗装パターンを変えることで表現しています。・・・・・・・とのこと。
舗装パターン(西側の突堤の位置)は、
グーグルマップの航空写真で見るとわかりやすいかも。
”象の鼻”という呼称は、
堤防の形状が象の鼻に似ているからだって。
象の鼻防波堤
なお、象の鼻防波堤にも史跡の案内板があるかと。
そこからのランドマークタワー方面ビューは絶景なハズ。
象の鼻パークがある場所は、1854年、ペリー提督が2度目の来日で初めて横浜に上陸した場所。1859年の日米修好通商条約によって横浜が開港場の一つになって以降、諸外国との貿易の舞台となりました。
象の鼻パークは、横浜港開港150周年にあたる2009年に開園。
堤防は、関東大震災で大部分が沈んでしまった明治中期の堤防の形状を復元しているとのこと。
園内にはカフェや多目的スペースのあるレストハウス「象の鼻テラス」もあり、
いつも来園者らの憩いの場所になっている感じ☆
赤レンガ倉庫方面へつながる「新港橋梁」方面へと進むと・・・
「煉瓦造2階建倉庫」の案内板と遺構。
税関施設の一つだった「煉瓦造2階建倉庫」の基礎部分。倉庫は、明治中期~関東大震災まで、国内外からの貨物の保管や検査のために使用。
象の鼻地区一帯は、かつては横浜税関の敷地であり、税関の各種施設が建ち並んでいた・・・・・・とのこと。
横浜税関の建物はスグそこ。
そこにいるのは、開国博Y150マスコットキャラクター「たねまる」です。
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