2022年9月中旬、1泊2日の山形旅行。
間もなく帰路に着くタイミングとなりました・・・
最後に向かった場所は「霞城公園」。
山形市中心部に位置し、山形城跡を整備した都市公園。
現在の城郭は第11代城主最上義光(もがみよしあき。1546~1614)が築いたものが原型とされていて、
現存している二ノ丸の堀、土塁・石垣は、最上家改易後、元和8(1622)年に城主となった鳥居忠政によって整備されたと伝えられています。昭和16(1941)年に国史跡指定、平成18(2006)年に「日本100名城」に認定。
山形城は出羽の関ヶ原合戦「長谷堂合戦」で城郭が霞で隠れて見えなかったことから「霞ケ城」とも呼ばれていました、とのこと。
最上義光騎馬像。めちゃくちゃかっこいい(≧▽≦)!!
【霞城(かじょう)公園】
所在地 山形県山形市霞城町1−7
夕方、
本丸御殿広場北側の無料駐車場からテクテク。
というか、グーグルマップでは、駐車場東側に野球場が載ってるのですが・・・現地で見たっけ(;'∀')?
ざっとネット検索すると・・・解体されたのかしら? それにしてもグーグルマップでは航空写真・ストリートビューともに2022年9月30日時点でも残ってるの(グーグルマップは更新されてるので意外)。
現在、霞城公園では本丸土塁の復元、本丸御殿広場の整備やVR等の映像で再現する整備、子どもたちの遊び場、緑のいこいの広場などの整備が進められてるみたいですね。
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本丸御殿広場を貫く道。西側(おそらく本丸西堀沿い)にある案内。
「平成28年度発掘調査情報 本丸御殿跡・本丸西堀跡」
現地の案内(貼り紙)によると・・・
本丸西堀埋門周辺では、最上氏時代の盛土の斜面の約2.5m下より石積遺構が検出。石積みは2~3段で、玉石を横長に積んだ土留め遺構と考えられます。石積みの前面からは黒瓦破片が出土、最上氏時代の瓦の特徴が認められます。よって、石積遺構の前面は最上氏時代の堀跡、石積みの後背盛土は土塁と推定。盛土の観察より、石積遺構は盛土全面に築かれたのではなく、当初より3段程度だったと推定しています。・・・とのこと
本丸西堀・土塁はコチラだと思われます(↑)
本丸御殿広場を通る道の東側(↑)。
本丸内は公開時間だったら中に入れたッポイです。
「桜の園」。ということは、植えられている木々は桜?
ちょっとした広場。
霞城公園は桜の名所。
1357年に最上氏の祖、斯波兼頼が山形城を築城した際に植えたと伝わる樹齢600年超のエドヒガンが今も咲き誇っています。園内には約1500本の桜があるとのこと。
間もなく南門というポイント。
南門からJR山形駅まで徒歩8分ぐらいだそうです。
このあたりのマップ
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霞城公園内には山形県体育館、武道館、山形市立郷土館、山形県立博物館などもあります。
体育館の外壁。味わい深いデザイン
山形県体育館
モンテディオ山形は山形県がホームタウンのプロサッカークラブ。
体育館と武道館はつながっているようなデザイン
山形県武道館
体育館と武道館は本丸御殿広場に面した立地。
「石垣の崩落跡」
本丸堀の発掘調査をしたら、本丸一文字門西側櫓台石垣前の堀底から、石垣石材が大量に出土。
江戸後期の絵図で櫓台石垣の一部に『御櫓崩』(おんやぐらくずれ)との表記から、その崩落に由来する石材と考えられています。・・・とのこと。
・・・こういう崩落跡も残してある例って、そんなにない気がする?
「山形藩の藩主」
初代山形藩主・最上義光は山形県の村上・最上・庄内地方と秋田県の由利地方を領地とする57万石の大大名。山形城は山形藩の拠点。最上氏改易後も鳥居氏・保科氏と幕府の信頼の厚い大名が配置され、東北の軍事上の押さえとして、山形藩は重視されました。それ以後は、藩としての石高は徐々に減っていき、また、譜代大名などが頻繁に入れ替わるようになりました。最後の水野氏の時は石高が5万石まで減り、山形城の三の丸の一部は田畑として利用されるようになっていました。・・・とのこと。
本丸一文字門へ続く大手橋
「山形城の堀・土塁」
堀や土塁は人工的な防御施設で、
本丸東堀は深さ約7m、土塁を含めて高さ約10mの土手。堀の幅は約33m、鉄砲・弓矢からの攻撃を避けつつ、城内からの射程距離も考慮したつくり。
堀は湧水による水堀で、かつては現存の二ノ丸堀と同じ趣を備えていたものと思われます。
・・・とのこと。
また、発見された遺構の内、埋め戻して保護されたものもあるンですね。
「本丸一文字門」
本丸一文字門は、本丸の大手にあたり、櫓門・高麗門・桝形全体の呼び名。
大手橋を渡り高麗門をくぐると石垣・土塀に囲まれた「桝形」に入ります。本丸に入るには右に折れ櫓門を通らねばならず、敵の侵入を食い止める城の工夫のひとつ。
大手橋は幅約5.5m・長さ約21.8m。
明治時代に埋められた本丸の姿を復原するため、桝形・櫓台石垣の修理を平成10~15(1998~2003)年、大手橋の復原が平成17(2005)年に行われました。・・・とのこと。
圧巻の石垣
「本丸一文字門の石垣」
本丸一文字門は元和8(1622)年以降の山形城の改修によって築かれた城門。
高い石垣は櫓台石垣と呼び、大手橋を渡ったところは桝形石垣。
武道館の近く。
「山形市立郷土館」
明治11(1878)年に県立病院「済生館」として建築。3層楼の擬洋風建築。昭和41(1966)年に国重要文化財に指定。昭和44(1969)年に現在地へ移築、昭和46(1971)年に山形市郷土館として開館。
そしてコチラも本丸御殿広場近く。
「山形県立博物館」
国宝「縄文の女神」を所蔵しています。観たかった~
なお、会期2022年10月1日~12月11日で、
企画展「女神たちの饗宴 -「縄文の女神」国宝指定10周年-」が開催されます。
入口にあるのは縄文の女神のレプリカ的なものかしら
博物館の北側。二ノ丸東大手門付近。
最上義光騎馬像があります。
上杉景勝の重臣直江兼続が攻めてきた際、義光が陣頭となって決戦の場へ向かっていく融資を山形鋳物で再現したとのこと(昭和52年建立)。
・・・帰宅後、ざっとですが、最上義光氏や最上家、周辺の武将などについてネットで調べてみたら・・・とってもおもしろくって☆ 歴史をちょっとでも知ったうえで現地を巡ったら、もっと楽しいだろうなと思いました。
二ノ丸東大手門まで来ました。
周囲に張り巡らされてるのが二ノ丸堀でしょうか。
スグ横をJR線が通ってマス。
JR山形駅方面の眺め
東大手門前からまっすぐ伸びる道沿いに、公園や山館形美術、最上義光歴史館があります。
二ノ丸東大手門は山形城の正門
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