2020年8月16日日曜日

会津若松まちなかさんぽ③ 野口英世青春通り

会津若松市中心部に位置する「野口英世青春通り」は、
細菌学者・野口英世博士のゆかりがあるスポットが周辺にあります。
通り沿いに立ち並ぶ商店も、歴史を感じさせる建物やちょっとなつかしい雰囲気の建物が多いです。
私は神明通り南交差点から西へ曲がって、この通りに入りました。
なお、このときはまだ朝9時台だったので、ほとんどのお店はまだオープンしてません。


街路灯に野口博士の看板。野口英世青春通りの目印

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思わず目を引く建物
「旧黒河内胃腸病医院」
昭和11年築とのこと。


「野口英世青春広場」に寄りました。(入場無料)



野口英世氏の銅像 颯爽としている雰囲気
台座の「忍耐」・・・!




「志を得ざれば再び此地を踏まず」とは、野口英世(清作)博士が上京する際、実家の柱に刻んだ文章だそうです。

野口博士の強さが伝わってくる・・・

私が初めて野口博士について知ったのは、映画から。三上博史さんが博士を演じられていたのも思えてる。
ネットで映画のワンシーンの画像を見ただけで・・・泣けてくる。

「自分への手紙」ポストがあります。5年後に自分に届くそうです。



花壇の石は、東京都港区東新橋一丁目にあった会津藩中屋敷の船入場に築かれていた石垣なンだって

なんと「モンゴル物産館」☆
アトでネットでざっと検索したところ、モンゴルの産品(岩塩、スーパーフード、カシミヤ製品、皮製品)がいろいろ並んでるそうで・・・是非店内を見てみたかったナー(≧▽≦)
モンゴルの商品が置いてある店ってあまり見ないよネ。

 野口英世青春広場仕様のデザイン

 広場入口付近に、野口英世青春通りや博士ゆかりの地の案内板アリ。


コチラの案内板にて、会津若松における野口英世博士ゆかりの地で紹介されているのは・・・
会陽医院跡 英世氏が左手の手術を受けた場所。1階は喫茶店、2階は野口英世青春館(資料展示)
末廣酒造 嘉永蔵(旧新城酒店) 英世氏の母・シカ氏が度々立ち寄っていた。シカ氏が新城家で朝食をとったときに使った箱囲炉裏や英世氏の書が残されている。
→広場から徒歩4分ほど。酒蔵見学できるらしい。併設のショップやカフェもあるッポイ。詳細は、「末廣酒造 」HPなどで。
日本基督教団若松栄町教会 英世氏が19歳の時、洗礼を受けた教会。当時の名が記された信徒名簿が残されている。
→広場から徒歩5分ほどです。
旧会津中学校跡 英世氏が課外特選生として通った会津中学校の跡
などなど・・・・・・

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広場を出て、再び通りを歩いていきます。


「遠藤米穀店の蔵」
昭和7年に建てらたもの。
遠藤米穀店は、若松でも大きな米穀店で、「大和屋」と呼ばれていた。遠藤家には、若松城に明治41年、連隊が来たことを祝って桜1000本を植えた遠藤十次郎(現夢)がいます。・・・とのこと。


「福西本店」

福西本店はギャラリーや甘味処、レストラン、ギフトショップなどで構成されてるョ
福西家は、18世紀、八代将軍吉宗の時代、初代伊兵衛が会津へ入り、歴代の福西家は商人として活躍、明治時代には様々な物産を扱う問屋業へ商売を広げた。100年ほど前の九代伊兵衛の時代には、会津銀行の三代目頭取に就任し、岩越鉄道の設立に参加した。・・・とのこと。

福西本店のトナリに「野口英世青春館・会津壹番館」があります。
建物は、博士が子どもの頃手術を受けた病院「旧会陽医院」です。

コチラのマップには、野口博士の初恋の人、山内ヨネの家も載ってます。

野口英世青春通りは、医学者・野口英世博士が15歳~19歳まで過ごした街

歴史的な雰囲気の建物が建ち並んでいます。
縁石のそばにも。野口英世氏のデザイン入り。


写真向かって一番左には、ボーリング場がチラリ☆ 昭和チックな建物ってもはやなつかしくてカワイイ感じがするネ。

七日町通りへつながる交差点のところ。シャッターにかわいい赤べこが描かれてマス。

このアト、七日町通りを歩きました。
→◆「会津若松まちなかさんぽ④ 七日町通り」(2020年8月16日付)
https://fuwarimeguri.blogspot.com/2020/08/blog-post_37.html

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