明治時代から三菱による炭鉱開発が進められた島で
その外観が軍艦「土佐」に似ていることから
「軍艦島」と呼ばれるようになったとのこと。
船上から撮影。
軍艦に見える角度だそうです。
軍艦島の広さは、東京ドームのグラウンドおよそ5個分。
最盛期の人口密度は、世界一とも言われていました。
病院・学校・商店・高層アパート・神社など、生活上必要な都市機能が備えられていて、
活気に満ちた島でした。
昭和49年(1974年)に閉山し、全ての住民が島から離れ、無人島になったとのこと。
スポンサーリンク
軍艦島観光ツアーを実施している会社は何社かあます。
各社によって特徴があるみたいなので、比較して、好みのツアーを選ぶといいかも。
私が申込みをしたのは、
「軍艦島クルーズ株式会社」(高島海上交通グループ)の「軍艦島上陸クルーズ」。
<乗船料>大人3600円。
インターネットで予約可。
午前便と午後便アリ。
「午前便」の工程表(「軍艦島上陸クルーズ」HP掲載のもの。2018年6月13日時点に確認):
長崎市内の長崎港元船桟橋、9時10分発→高島港、9時40分着。石炭資料館見学。高島港10時5分発→軍艦島、10時15分着。上陸見学。軍艦島、11時半発→長崎港元船桟橋、12時10分~20分着
・・・私は午前便に参加しましたが、概ねスケジュール通りに進んだようでした。
ツアーの申し込みや軍艦島上陸に関するルールなど、
詳細は、「軍艦島上陸クルーズ」HPをご確認ください。
船は「ブラックダイヤモンド」。
2階建てで、2階には屋根はありません。
この日は、朝から雨でした。
きつい雨ではないけど、必ず傘をささなければならない程度の強さ。
午前中のツアーでしたが、決行されました。
ただし、船内や軍艦島では傘がさせれないので、レインコートが必要。
船内でも買えました(1着200円)。
5月下旬だけどちょっと寒かったし、島で着るのは手間な気がしたので、、
船内で着ておきました。
修学旅行生の団体と同乗し、船は満員☆という感じでした。
午前9時ごろ、長崎港から出発。
雨なので、視界がぼやっとしてはいましたが、
船窓からの景色を楽しめました。
長崎港近くのタワーマンション。
三菱重工 長崎造船所
軍艦島への航路では、長崎港周辺に限らず、いろんな景色が見えるのですが、
逐一ガイドさんが説明してくださります。
軍艦島の前に寄る「高島」(長崎市高島町)。
高島港到着は、長崎港出発からおよそ40分後です。
昭和61年(1986年)閉山の高島炭鉱に関する資料展示施設
「高島石炭資料館」を観覧できました(高島港からスグの場所です)。
高島港到着後は、まず、港の目の前にある建物「高島港ターミナル」が目に入ります。
高島や軍艦島関連のお土産販売や
おしゃれな食堂があります
(ただし、高島での時間は30分もなかったので、食堂を利用する余裕はありませんでした
(^_^;))。
確か、高島に到着前に、
「資料館とターミナル(お手洗いが使えます)以外の場所には行かないでください」、との船内アナウンスあり。
他の場所にちらばってしまったら、船でスケジュール通りに進めなくなる可能性ありますもんネ。
(ちなみに、
「高島炭鉱 北渓井坑跡(ほっけいせいこうあと)」(所在地 長崎県長崎市高島町99-1)は、
ユネスコ・世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に含まれていますが、
高島港ターミナルから徒歩25分、又はバス乗車でバス停「本町」から徒歩1分・・・という場所なので、観に行けません。)
そして、高島港ターミナルからちょこっと歩いたところにある
「高島石炭資料館」。
高島炭鉱の歴史資料や、
炭鉱で使用された道具等の展示があり、
説明一つ一つをじっくり読んでいると、結構時間がかかるので、
ツアーのスケジュールを考慮すると、ざっと観る感じでしたネ。
なお、
建屋前には、軍艦島の模型があります。
そして、高島を出発すれば、軍艦島は間もなく見えてきます。
初めて見た軍艦島・・・!をズームで撮影。
正面に写っている白い建物が「端島小中学校」。
その上辺りに見える屋根が付いた小さな建物は、「端島神社」。
そして上陸。
軍艦島に上陸できる唯一の桟橋です。
かつて住民が住居エリアに行くために使っていた通路の入り口。
桟橋の近くにあります。
軍艦島には、
立ち止まって、周囲の景色を観れる見学スペースがあります。
そこでガイドさんの説明を聞きました。
ガイドさん曰く、
ツアーには、端島の元住民の方々も参加されることがあるそうで、
元住民の方かどうかは、雰囲気でもわかるそうです。
ガイドさんは、船内、そして軍艦島でも、興味深い話をいろいろしてくださります。
是非☆ツアーに参加して、お話を聞いてみてくださいネ(^^)。
見学スペースのところに、軍艦島のマップ看板がありました。
斜面の上にあるのは、「3号棟」。
軍艦島で炭鉱開発していた三菱の幹部職員用住宅だったとのこと。
「総合事務所跡」
灰色っぽい建物が多い中、
赤いレンガは目立ちます。
「プール」
今も白い線が残ってますネ。
高層アパート。
向かって右側が30号棟、左側(白い方)が31号棟。
30号棟は、1916年(大正5年)建設で、
日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパートとのこと。
鉱員住宅。
雨は降ったり、やんだりの天気で、
あともう少し雨脚が強かったら、カメラ使えなかったかもしれませんネ。
最後に。
雨は降ったり、やんだりの天気で、
あともう少し雨脚が強かったら、カメラ使えなかったかもしれませんネ。
最後に。
長崎港到着(12時過ぎ)前に目にした大型客船。
訪問年月:2018年5月
スポンサーリンク
※上五島観光に関する記事です。
◆「鯛ノ浦港と高速船・レンタカー代など (長崎・新上五島町)」(2018年6月11日付)
https://fuwarimeguri.blogspot.com/2018/06/blog-post_96.html
◆「上五島で見学した教会 (長崎・五島列島)」(2018年6月11日付)
https://fuwarimeguri.blogspot.com/2018/06/blog-post_69.html#more
◆「上五島の海・・・青くて透明、そして静かでした」(2018年6月11日付)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。