2022年4月21日木曜日

【登呂遺跡】博物館と遺跡公園 復元住居と水田【静岡市駿河区】

「登呂遺跡」といえば、日本史の授業で登場する有名な遺跡。
静岡市駿河区にあるンですネ。
辺りは住宅街で、静岡市中心部からそんなに離れていない場所です。
そこには博物館と、住居・倉庫を復元し、水田が広がる遺跡公園があります。

【登呂遺跡】
所在地 静岡県静岡市駿河区登呂5丁目10−5

静岡市立登呂博物館屋上テラスからの眺め
遺跡公園は広くって、複数の住居や倉庫が復元されてマス。水田も広がってマス



登呂遺跡は、第二次世界大戦中の昭和18(1943)年に軍需工場建設の際に発見。弥生時代の水田跡の遺構が確認されたのは日本で初めてでした。
大量の土器・木製品などが出土。住居跡・倉庫跡などの居住域と水田域が一体となって確認されて、「弥生時代といえば水田稲作」というイメージが定着するきっかけとなったとのこと。
 ・・・そうよネ~ 弥生時代といえは水田稲作!ていうの、まだギリ覚えてます。
登呂遺跡は、昭和27(1952)年に、弥生時代の遺跡としては初めて特別史跡に指定されたとのことです。

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また、登呂遺跡があるのは扇状地。遺跡の北側が「住まいの区域」で、南東に広がる低い土地が「水田の区域」。登呂遺跡の集落は弥生時代後期~古墳時代まで、4つの時期に分けることができ、その間に2回洪水があり、登呂ムラは壊滅的な被害を受けました。現在復元されているのは、1回目の洪水前の最盛期の姿です。
そして実際に現地で復元されているのは、10軒程度あったと推定される住居のうちの4軒と、高床倉庫2棟、祭殿1棟。

祭殿


中に入れる住居もあるンです。

ホントに水田が広がってるンです。訪問時は冬だったのでこんな感じですが・・・

あぜ道もあったりして。

実際に稲作をされてるみたいですョ。
登呂遺跡博物館は資料展示だけでなく体験も重視してるので、稲刈りなど屋外での体験イベントもあるのです。※最新情報は静岡市立登呂博物館HPをご確認ください。



富士山。屋上テラスからだともっとよく見えます。

遺跡公園は常時開放されてマス。

そして博物館について。
静岡市立登呂博物館

1F(体験展示室を含む)・屋上テラスは観覧無料
2F(常設展示室、特別・企画展示室)は観覧券が必要(一般300円)。

1F体験展示室は、なかなかユニークです☆
コチラにも竪穴住居や高床倉庫があって、中を覗けるし、
新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、2022年4月20日時点では実施されていませんが、疑似田植えや田下駄体験、貫頭衣体験などもあるンです。

土器がずらり

丸木舟など

2F常設展示室では、登呂遺跡から発掘された出土品などが展示されてマス。
「登呂の食べ物」
登呂遺跡からは、いろんな動物の骨・植物の種子が出土。水田でイネを栽培するだけでなく、アズキやマクワウリなどの植物、ヒエなどの雑穀類を畑で栽培していたと考えられます。
魚介類の食べ物は、イワシ・ブリ・マダイ・ハマグリ・アサリ・シジミなど
獣類の食べ物では、イノシシやシカが多く食べられていました。・・・とのこと。

「弥生グルメカレンダー」


・・・いまふりかえってみると、歴史をゆったり学ぶ余裕って、学生の時はありませんでしたネ。
当時のことについて考えたり、想像したりしてみたら、なかなか面白かったのではないかと思うのですが。

弥生時代にもリサイクル精神があったようです。
木材は当時も生活のための重要な材料でしたが、常に豊富だったわけではないので、
使えなくなった大きな道具は、小さな道具や使う目的を変えた道具に再利用されました。
登呂遺跡でも、ネズミ返し(高床倉庫の部材)や田下駄が建物の柱の下に敷いた礎板に再利用されたり、梯子や建物の柱が水田の畔を補強する矢板など土の崩れを防ぐ用具に再利用された例がみられます。・・・とのこと。

「道具をつくる道具」


トロベーは、登呂遺跡・登呂博物館PRキャラクター。

ミュージアムショップで販売されている「古代米アイス」(税込み200円)を食べました。
シャーベットっぽさと餅っぽさがある食感。古代米の粒も入ってると思いマス。なかなか楽しい一品です。

充実している施設です。また行きたい☆彡

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