神奈川県立大磯城山公園にある「旧吉田茂邸」へ行ってきました。
旧吉田茂邸は、戦後の内閣総理大臣を務めた吉田茂が昭和19(1944)年頃からその生涯を閉じる昭和42(1967)年まで過ごした邸宅です。
大磯城山公園は東海道を挟んで南北のエリアに分かれます。
旧吉田茂邸があるのは南側のほう。
公園にはいくつか駐車場がありますが、旧吉田邸そばにもあります。
なお、平日だと駐車料金がおトクなようです。
【旧吉田茂邸】
所在地 神奈川県中郡大磯町西小磯
(バス停「城山公園前」から徒歩5分)
きれいに維持管理された日本庭園があります。
遠くに写っている建物が旧吉田邸。
旧吉田茂邸。南側から撮影。
写真(↑)向かって左側に写っている大きな窓から海が見えそうな気がするのですが、
実際のところは中に入っていないのでワカリマセン(入館有料)。
「旧吉田茂邸の再建」
旧吉田茂邸は、吉田茂の養父・吉田健三氏が明治17年に別荘として建築したもの。
豪壮で近代的な数寄屋檜作りの本邸は、建築家・吉田五十八氏が設計し、京都の宮大工により建築。
政界引退後も多くの政治家が「大磯詣」を行い、また、国内外の要人が招かれるなど、近代政治の舞台となった。
平成21年3月、旧吉田茂邸は焼失してしまったが、大磯町が再建し、平成29年4月から一般公開している・・・・・・とのこと。
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なお、旧吉田茂邸地区にある「兜門」・「サンルーム」・「七賢堂」は国登録有形文化財とのこと。
「サンルーム」
昭和38年に建てられた後、旧吉田茂邸の食堂(ローズルーム)と廊下で接続され、熱帯植物のほか、藤製のソファーやテーブルなどが置かれ、寒さの苦手な吉田茂氏は、ここで接客することもあったそうです。平成21年の火災から免れ、当時の姿を残すが、耐震上の問題から人が入ることができないため、旧吉田茂邸の再建でも廊下は復元されず、外観保存としている・・・とのこと。
「兜門」
軒先に曲線状の切り欠きがあり、兜の形に似ていることから「兜門」と呼ばれている。また、サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられたことから、別名「講和条約門」とも言われている。
平成23年度に屋根の葺き替えなどの修復工事を行った際、棟札が発見され、昭和29年に建てられたこと、昭和57年に修復が行われていたことが判明した・・・・・・とのこと。
日本庭園では、季節の花が咲いていました。
木々の間から西湘バイパスがチラリと見える箇所があります。相模湾・・・キレーな青!
「管理休憩棟」。一休みできます。
逆光で、吉田茂像は上手く撮れなかったけど・・・
コチラ。管理休憩棟前にいらっしゃったのは、吉田茂氏ですよネ。
訪問年月:2020年2月
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