2024年12月14日土曜日

【横浜歴博】青葉区・都筑区がテーマの「丘のよこはま」展を観てきたョ☆彡【2024年12月15日まで】

横浜市歴史博物館で開催の企画展「青葉・都筑区制30th 丘のよこはまー近代の村の歴史と暮らしー」を観てきたョ\( 'ω')/
めちゃざっくりいうと、明治に青葉区・都筑区のエリアに6つの村が誕生してから、青葉区・都筑区ができる間の歴史を紹介した展示会だョ。
めっちゃオモシロカッタ☆彡
こりゃ、青葉区好き・都筑区好きには実に興味深い展覧会では。
(つまり、青葉区・都筑区を全く知らない方にとっては、マニアックかもw)
会期は2024年11月23日~12月15日。つまり一か月もなかったのネ。てかまもなく閉幕ですし。
会場は、いつも企画展の展示場所となっている企画展示室・・・つまり、よくある博物館の展示室のイメージからするとコンパクトなンだけど、個人的には、資料ひとつひとつじっくり観ていくにはちょうどいい広さだわ~ 自分自身のキャパ的にも(^^;
・・・で、今回の企画展は、観覧料も抑えられる気が(^^;!(一般500円、高校・大学生300円、小中学生および横浜市内在住65歳以上100円)
(んとネ・・・近年の横浜歴博の企画展は、展示室の広さのわりには・・・ん~?な料金設定な印象だから。まあいろいろ値上がりしてるし、運営のためにはやむおえず、なのだろうけどね)ということで、今回はありがたい。

展示会場の展示物のほとんどが写真撮影OKだョ📸

ということで、どんな感じだったかとか、カンタンにレポ。

青葉区・都筑区は今年区制30周年を迎えたンだって。
で、今回の企画展では、
明治22(1889)年、両区域には田奈村・中里村・山内村・中川村・都田村および新田村が誕生。その村で取り入れられた近代的な制度や、盛んだった農業分野を紹介。当時の人々の住まいや教育制度、消防、衛生面での取り組み、道、耕地整理や河川改修、田園都市線の開通、遺跡発掘、そして新しい二つの区の誕生などについても展示されてマス。

「神奈川県の新町村」という、明治22年に町村制を施行して誕生した県下の町村について民間でまとめた冊子。新町村と旧村名、近隣村への距離が書かれています。

個人的にやっぱ一番オモシロカッタのは、
明治22年に生まれた6つの村の紹介(企画展序盤)。
村ごと、マップと資料とともに、わかりやすく紹介されてマス。

・・・やっぱでんと沿線の民なので、そのあたりの村が気になりマスよネ。

中里村と山内村が並んで紹介されてマス

青葉区域の村、「中里村」(なかざとむら)は、都筑郡下で最大だったらしい。
寺家・鉄・黒須田・大場・市ケ尾・鴨志田・成合・上谷本・下谷本・北八朔・西八朔・小山・青砥の13ヶ村が合併してできたンだって。
・・・ということは、かつての中里村には今は緑区のエリアが含まれている、ということかナ(青葉区ももともと緑区だったし)。
青砥って・・・川和町方面に「青砥」ていう交差点があるけど、そのあたりなのかナ??(そうだったらホント広いね)

で、現在の地名も考慮してあてはめると、中里村域だったエリアの現在の最寄り駅は、田園都市線の青葉台駅~あざみ野駅・・・あたりでしょうか。

村役場は、現在のJA横浜中里支店付近に置かれてたンだって。
・・・そうなの。青葉区のほかの村でもネ、村役場があった場所付近に今はJAの支店があるのョ。
なので昔からのこの地域における農業の重要性がなんとなく伝わってくるような。

中里村の名前は郡中央部の里々であることに由来。
そして中里という名称は、区内町名にはないけれど、自治会や町内会、JAの支店名などに引き継がれているとのこと・・・こういう情報もイイですよネ☆ 長きに抱いていた謎が解ける。

戸長役場が領収書に押した印。13ヶ村すべての村名が入ってる

そして「山内村」
石川と荏田の2ヶ村でできた村。

山内村域は、現在の美しが丘も含まれたンだネ。
なので、かつての村域は、現在でいうと、でんとの最寄り駅が江田~たまプラーザ、ということかしら。

山内村という名前は、山がちな地形にちなんで。
そして山内村という名称は、山内村のほか、小中学校、図書館、地区センターなどの名前に引き継がれてマス。

山内村役場の建設後に撮られた集合写真当時の職員らしき人物たちが写っています。役場は木造2階建ての立派な建物でした。建物前の「山内村役場」という標柱は、今でも区内に現存しているとのこと。
キャプションボードには「昭和2年(1927)~」と記されてましたので・・・
つまり、この建物が、今でいうJA横浜山内支店がある場所に存在した、ということかしら。
・・・あのね、現在でいうと、結構前面道路が狭めなところなのョ。なぜココにおっきな建物が?とちょいと思っていたのですが。でもそこにかつて村役場があったということなら、ナルホドなのです。

「田奈村」は、奈良・恩田・長津田の3ヶ村でできた村。
村名は恩田・長津田の「田」と奈良の「奈」から。
田奈の名称は、田奈町のほか、小中高、あと駅名にも☆彡
長津田は、平成6(1994)年には恩田・奈良と別れて緑区に編入。
田奈村域だったエリアのでんとの最寄り駅は長津田~青葉台でしょうか。

「新村役場事務の取扱」
明治22(1889)年に近代の村(新村)が誕生するにあたり、それまでの「恩田村外2ヶ村戸長役場」は新村役場への引継ぎが行われたとのこと。


現在の青葉区・都筑区にあたる地域は、昔から農業が盛んだったみたいですね。
ニュータウンといえど、今も田園地帯があったり、道路沿いにひょっこり田畑やビニールハウスがあったり・・・展示資料の説明を読んでいると・・・ああ~だからあのあたりにまとまって田畑があるのか!とか思ったりしました。
横浜市農産物分布図(昭和14(1940)年の『横浜市農勢概要』の付図)
キュートなイラスト。
青葉区ではブタさんも育まれてたンですネヽ(゚Д゚)ノ というか、神奈川県て畜産といえば豚、なンですね~
ニワトリさんは・・・今でも居そう。

田奈村・中里村の鶴見川(谷本川)・恩田川流域では、王禅寺(川崎市麻生区)発祥と伝わる甘柿・禅寺丸柿が多く栽培されていたとのこと。
・・・そうだったンだ!
ということで、コチラの甘柿ラベルがあるのかナ。
神奈川県新治出荷組合連合会が制作した箱詰めに貼付するラベル。
・・・新治って、恩田川流域に含まれるンだ?まあココでいう新治の範囲がワカラナイけれど。
・・・禅寺丸柿、私も食べたことある気がする。コロンとしたカワイイカタチ&サイズよネ?めっちゃ甘かった!!

横浜山手の外国人居留地でビール製造がはじまって、製造地および消費地に近い都筑郡ではビール麦(大麦)栽培も盛んだったンだって☆ ・・・今の感じからすると、意外ですよネ。
で、青葉・都筑区域で最も多くビール麦の栽培をしていたのは山内村。
一方で、コチラは中川ビール麦耕作組合とキリンビールが締結した契約書

そして明治~大正期の厳寒期に多く作られたのは天然氷ヽ(゚Д゚)ノ!!🐧🍧
コチラは神奈川県知事への氷製造の免許申請書
製造場所(氷池)は荏田の3ヶ所、それぞれ30坪ほど。

で、いきなりジャンプするけど・・・
田園都市線だョヾ(*´∀`*)ノ
1966年4月に溝の口~長津田間が開通。

さらにジャンプ。
名前つけてね♪
区名の公募が実施されました。

公募結果。
青葉区は、「青葉」が1位だったンだネ☆ 全体的な件数から見ると、まあ、2位に差をつけて。・・・青葉でヨカッタ(^^;
都筑区のほうは・・・混戦ぎみ? でも8位の「都筑」になった~ 地名にしっかり残したかったかナ? 渋くてイイネ。

そして平成6(1994)年11月6日に、青葉区・都筑区が誕生しました(*^▽^*)


ということで、今回の展覧会は、めっちゃ興味深くて面白くて。企画展示室そのものは広くないンだけど、2時間ぐらい滞在(^^; 
もち、企画展のパンフレットもゲット☆彡
あと、スマホでアンケートに答えて、おみやもいただきました(ポストカード)。

【横浜市歴史博物館】 
所在地 横浜市都筑区中川中央1-18-1
(横浜市営地下鉄ブルーライン・グリーンライン「センター北駅」から徒歩5分)

これまで横浜歴博へは何度も平日に企画展を観に来たことがあるのだけど、たいてい、めっちゃ観覧者少なくて・・・・・・確かに、所謂横浜中心部からは離れた場所ではあるのですが、運営が心配になるほど。けど、今回はこれまで私が経験したことのある横浜歴博の平日の企画展のうちでは観覧者が多かった印象。直近で何かメディアで取り上げられたのかも?ですが・・・青葉区・都筑区のことがスキで、観に来てる方が多いのだと勝手に想像w

青葉区・都筑区が6村だった時代やニュータウン開発が始まる前の時代を知っている方々は、今のまちなみをどう感じているのかナ・・・
イイ地域だけど、首都圏のニュータウンに共通するような問題点も抱えてると思うの。そんなことを考えながら、さんぽしちゃうよね。企画展を観に行ったアトは。

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