道路向かい側の左側(カーブミラーがあるところ)に、「まんじゅうや」の案内板があります。
ここは、
江戸時代後期の洋学者・画家の渡辺崋山が泊まったとされる旅篭屋「まんじゅうや」(土屋家)の跡のようです。
渡辺崋山が第10代田原藩主三宅康明の弟友信の命により、高座郡早川村(綾瀬市)に棲む友信の生母お銀の消息を尋ねる際に泊まった場所だそうです。
案内板などが立っている場所は狭いですが、実際はもっと敷地が広かったのでしょうネ。
この場所からスグのところにある「下鶴間ふるさと館」にあった
下鶴間宿イラスト図にも、まんじゅう屋が載っています。
ふるさと館にあった下鶴間宿イラスト図
まんじゅうを販売していたのかナ。
→◆記事「下鶴間ふるさと館(旧小倉家住宅)小倉家の資料などを通して当時の下鶴間宿の様子をチラリと想像できるような施設」(2019年5月14日付)
https://fuwarimeguri.blogspot.com/2019/05/blog-post_34.html
https://fuwarimeguri.blogspot.com/2019/05/blog-post_34.html
なお、下鶴間ふるさと館へ続く道(矢倉沢往還)は狭いうえに自動車の交通量が多いので、利用される際は十分にお気を付けくださいネ。
このような道です。狭いですが歩道はあります。
このように途中に退避できるような場所もあります。
そして、旅籠まんじゅうや跡と下鶴間ふるさと館の間。
下鶴間不動尊への階段のそばに、「旧下鶴間宿」の案内板があります。
案内板が立つ道路(東西に走る道路)が矢倉沢往還や大山街道と呼ばれた道。
それは東海道の脇往還として重要な交通路。
下鶴間宿には、いろんな商家や旅篭があったということです。
訪問年月:2019年5月
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