2025年5月31日土曜日

東神奈川歴史さんぽ(2025年5月上旬)

JR「東神奈川」駅・「京急東神奈川」駅周辺の歴史めぐりをしたョ(2025年5月上旬)。

グーグルマップで、東神奈川あたりで「史跡」と検索すると、史跡や歴史の案内板があるスポットがたくさん出てくるのダ。
というのも、この近くが東海道着十三次の三番目の宿場「神奈川宿」があった場所らしく、旧東海道も通っているから。
つまりこのあたりは昔から賑わっているエリア。

なお、今回めぐった歴史スポット・案内板のルート:

①JR東神奈川駅(「東海道五十三次之内 神奈川 台之景」)→(実はJR~京急間のペデストリアンデッキにもパネルあり)→②京急東神奈川駅(「京急神奈川駅(旧仲木戸駅)」について案内板)→③「東海道分間延絵図 神奈川宿部分」(横浜市立神奈川小学校のそば)→④金蔵院→⑤高札場→⑥明治天皇行在所之蹟(滝ノ川公園)→⑦滝の橋~土橋間の遊歩道の案内板→⑧浄瀧寺(石碑「史跡 イギリス領事館跡」)→⑨慶運寺
計9か所。
エリアとしては、実にJR東神奈川駅付近です。
スタート地点・ゴール地点ともにJR東神奈川駅で、
写真撮りながらのんびり徒歩でめぐって、所要時間は1時間程度でした。

JR東神奈川駅

JRと京急の駅はペデストリアンデッキでつながっている。

京急のほうはコンパクト。
JRの東口からデッキほぼまっすぐ伸びた先に京急の改札口があって、
ホームにやってくる電車が駅の外からも見えるのがおもしろい。

なお、JR駅構内には、「東海道五十三次之内 神奈川 台之景」の紹介。

そして、ペデストリアンデッキにも、「神奈川宿歴史の道」のパネルが設置されていマス。当記事の一枚目の写真にもチラリ・・・
そのものは撮り損ねました(;'∀') ここ半年ぐらいで2回、この場所に来ているのに、2回とも撮ってない(;'∀') 案外見落とすのだろうか・・・

でもコチラは撮りました (「でも」?!)
京急東神奈川駅1F改札ヨコの案内板。
「京急神奈川駅(旧仲木戸駅)」の紹介。
2020年3月に京急東神奈川駅に改称されたのネ!
そうよ、私、まだ仲木戸駅あると思てたもんw
そして、仲木戸駅の時代に利用したことがある・・・

1905(明治38)年12月24日、京浜電鉄(現京急電鉄)品川(現北品川)-神奈川間の全通に伴い誕生した駅で、
旧駅名の「仲木戸」は開業当時の付近の地名にちなむもの。ただし、開業直後は「中木戸」という駅名の表記も混在。

「仲木戸」という地名は、江戸時代初期、東海道の神奈川宿に、将軍が上洛する際などの宿泊・休憩施設として御殿が造営され、御殿への人々の往来を管理するために設けられた木戸に由来するものと考えられている。

・・・とのこと。

では、ちょっと駅前を離れますネ~
東側エリアをあるきマス。
「プラウド横浜東神奈川フロント」の建設現場。すごく駅チカ・・・お高いンでしょうね~💰
元々、何かのビルが建っていた場所のようです。

このあたり・・・道がちょっと変わってる感じ。Y字路なのョ

そして歴史スポットに到着☆彡


「東海道分間延絵図 神奈川宿部分」

え・・・東神奈川駅の場所って、かつては?!


神奈川宿は日本橋を出て三番目の宿場町。
4枚前~2枚前の写真に撮った石碑は、幕府の道中奉行所が作った「東海道分間延絵図」のうち、神奈川宿の部分。
図の中央には滝ノ橋が描かれ、この橋の東側に神奈川本陣、西側に青木本陣が見えている。

・・・滝の橋は、この後、近くまで行くョ。

「神奈川」は鎌倉幕府の執権、北条時宗の発した文書にも記されている古い地名だが、由来は様々。
その一つとして、「江戸名所図会」の上無川(かみなしがわ)の項には、
神奈川本宿内を流れる小溝があり、水が少ししか流れておらず、水源が定かではないため上無川といい、カミナシガワのミとシを略してカナガワというようになった、といった旨が記されているようです。
上無川は、現在の神奈川小学校東脇にあったとされているが、今は川の姿は見ることができない。
・・・その小学校とは、この案内板の背後にある学校だと思いますョ。
かンなり都会中心部に近い場所・・・すごいところにある小学校だナ~


では、次のスポットへ。

来た道を引き返してもヨカッタのだけど、なんとなく第一京浜沿いへ。

目の前に首都高

そして、先ほどのY字路がある道を横切ると・・・
なんだか雰囲気のある通りが先に見えてマス
(写真向かって右が、先述のプラウドの建築現場)

「金蔵院」(こんぞういん)

案内板があります。
金蔵院は、京都醍醐寺三宝院の勝覚僧正により平安末期に創られた古刹。

このあたりはタイル張りの路面で、歴史情緒な雰囲気があるのです。

さらに道なりに南西へと進むと・・・

復原された「高札場」があります。


高札場は、幕府の法度や掟などを庶民に徹底させるために設けられた施設。宿場の重要な施設でしたが、明治に入って、情報伝達の手段が整うにつれ、やがて姿を消しました。
かつて神奈川宿の高札場は、現在の神奈川警察署西側付近にありました。規模は、間口約5m、高さ3.5m、奥行き1.5mと大きなものでした。




その復元された高札場のすぐそばに、「神奈川地区センター」がありマス。和風な建物ですネ。
手前にはシェアサイクルがあるので、まちめぐりに活用できそう。


引き続き道なりに進むと・・・

北側に電車が通り過ぎるのが見える箇所。
JR線や京急本線が通っていマス。

ちょっと道を逸れますネ。
第一京浜方面へ。
ココにもマンションの建築現場。
「プライム東神奈川」だそうです。
プライムは京急グループのブランド。

そして「滝ノ川公園」
「明治天皇行在所之蹟」が園内に。

この時期、よく見かける花。

シンボルツリー的な存在かもしれません

気になる遊具

公園の南側。これまた気になるY字路。
このあたりは特に下町っぽい雰囲気があるかも。

そしてミニブリッジ。
「土橋」(どはし)
なお、この橋のそばには「土橋寿司」がありマス。

土橋からの眺めが味わい深い。
首都高が見える。第一京浜方面。
京急・JR線方面。
下を流れるのは「滝の川」。

川沿いに遊歩道が整備されている。

そこに案内板。
「金川砂子」(かながわすなご)に描かれた、江戸時代後期の神奈川宿の風景では、
現在と同じ場所にあった滝ノ橋を中心に、江戸川には神奈川本陣、反対側には青木本陣が置かれていた。
滝ノ橋のすぐ脇に見える高札場は、現在の地区センターに復原されている。・・・て、先ほど見てきたネ!
なお、滝の橋は、かろうじで写真に写ってるようです。先ほど載せた、土橋から第一京浜方面の写真です。


遊歩道にある花壇。様々な花が咲いているタイミングでした。



では、次の目的地へ。

「浄瀧寺」(じょうりゅうじ)の前に、歴史案内板と石碑「史跡 イギリス領事館跡」


浄瀧寺は開港当時、イギリス領事館に充てられたようです。


では、京急本線の踏切を渡ります。京急線の西側へ。

そして、京急本線沿いを北上。
ばっちり見えマス📸
・・・動く物をテキトーに撮っても、撮れるのは、新しいフルサイズカメラのすごいところだね
(花畑的な風景の撮影では苦戦してる・・・)

再びミニブリッジ登場。「慶運橋」
ココも滝の川だと思うのだけど。このようなミニブリッジが何か所か架かっているのネ。

橋の上あたりからかナ。京急本線側のながめ。

ミニブリッジを渡ったら、スグのところに、「慶運寺」(けいうんじ)


亀さん!?

「うらしま寺」

そして歴史案内板。
慶運寺は、室町時代、芝増上寺(しばぞうじょうじ)第三世音誉聖観(おんよしょうかん)によって開かれました。
開港当初はフランス領事館に使われました。
浦島寺とも呼ばれていて、
浦島太郎が竜宮城より持ち帰ったという観音像など浦島伝説にちなむ遺品が伝わっているという。

そうなのです。横浜には浦島太郎伝説があるのです。
横浜市公式サイトなどに情報が載っています。
このあたりには、「浦島丘」や「亀住町」など、おとぎ話の「浦島太郎」を連想させる地名も実在します。


ということで! 駅に戻りマス。
JR線の高架をくぐる。
「二ッ谷ガード」といいマス。

ひたすら線路沿いをJR東神奈川駅へ向かって・・・
西口に着きました。

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